2014年1月22日水曜日

「しらこがえり」の話を聞こう




屋久島の白川山(しらこやま)集落で去年の夏の2ヶ月間、山の竹や木を使って“巣”を作り、火を焚き、川で遊び、山を走り、呑み語らい暮らした「しらこがえり」プロジェクト。白川山が故郷で「しらこがえり」を企てた手塚太加丸の話を聞き、記録映像を観る機会を設けました。手の届く範囲のことから考え、体験し、見えてきたこと、そんな話を聞きたいと思います。


「しらこがえり」の話を聞こう

話し手:手塚太加丸
 1990年、屋久島白川山生まれ。15歳まで白川山で暮らす。2013年、沖縄県立芸術 大学を 卒業後、夏に「しらこがえり」する。

聞き手:中村友貴(PEOPLE)
 話し手のタカマルとは、高校時代に鹿児島市で知り合う。

日時:2月2日(日)18時30分〜
会場:千年一日珈琲焙煎所(http://1001coffee.jugem.jp/
参加費:500円 
※屋久島の焼酎「三岳」と屋久島のちょっとした料理を振る舞います。
問い合わせ:c5yuuki@gmail.com
「しらこがえり」プロジェクト:https://www.facebook.com/Shirakogaeri?notif_t=page_name_change

※※※

僕はいまだに「しらこがえり」がなんなのかかよく分からない。ただ、屋久島で過ごした約24時間は、そりゃあもう衝撃的だった。なんのプランも立てず、タカマルの予定もたいして聞かず、ただ「行くよ」と言って向かった小学生のときぶりの屋久島。到着するとタカマルの兄夫婦が迎えに来てくれていて、山の奥地に位置する彼の実家のある白川山集落へ。なんかとんでもないとこにやって来てしまったという不安でビビりながら久しぶりのタカマルに会う。集落の集会所のような建物の隣で竹と木を編んで、小屋のような庵のような巣のようなものを作っていて、それが彼の夏の帰省の目的らしい。そして、僕が屋久島に行ったまさにその日は、白川山に住んでいた詩人の山尾三省さんの十三回忌だった。社会を離れ、屋久島に暮らした詩人を偲んで島の内外から様々な人が集会所に集っていた。そんな状況にたまたま居合わせた僕やタカマルの制作を手伝いにきた若者たちもいて、懇親会に参加した。焼酎で酔っぱらいながら集会所で初めて読んだ三省さんの詩は、静かに激しく心を揺さぶった。泣きそうなのをこらえるために外に出ると、タカマルの作っている“巣”は真ん中に火が焚かれ、それを囲うように人が集まりギターを鳴らし歌を唄っていた。そのあとはよく覚えてないけど、三省さんの写真の前で目を覚ました。集会所で寝ていたらしい。短い滞在時間の三分の一は飲んでいたみたいで、結局「しらこがえり」がなんなのかよくわからなかったけど、いろんな人がいて、“巣”を作っていて、山尾三省がいて、焼酎を飲んだ。これが僕が訪れた「しらこがえり」の印象だ。去年の夏の「しらこがえり」を終えたタカマルがフェイスブックで「ただ一つ自分のことで分かったことは、自分の手足の動かせる範囲が頭で思っていたよりも全然小さいってこと、一人じゃ何もしないってこと」と感想を書いていた。その正直な感想が出たことと、意味ばかり求められる世の中でこういった活動をしたということは、本当に素晴らしいことだと思う。「わけのわからないもの」があってもいい。つくばで、焼酎を飲んで映像を観ながら、あらためて「しらこがえり」の話が出来たらいいなと思った。(中村友貴)